CLUSTARSカオス美術館 AR大阪

ようこそ、境界の揺らぎへ。 近代言語学の父フェルディナン・ド・ソシュールは、言語とは「差異のシステム」であると説きました。私たちが「木」を「木」として認識できるのは、それが「空」でも「土」でもないという区別——つまり「差異」があるからです。 今、あなたが立っている東京、名古屋、大阪の街。これらもまた、名前によって切り出された概念の集積に過ぎません。もし、この世から物事を区別する「主体」がいなくなれば、世界は名前を失い、天地開闢以前のカオスへと回帰するでしょう。 **「名付け」が定義するリアリティ** 人間は、価値を見出したものに名前を付け、区別します。 例えば、日本では「犬」と「狸」は明確に別の生き物です。忠犬ハチ公のように主人を待つ狸はいませんし、人を化かす犬の話も聞きません。しかし、フランス語においてこれらはどちらも “chien” という枠組みで語られることがあります。彼らにとって狸は馴染みがなく、両者を厳密に分ける必要性がなかったからです。 では、日本語に翻訳できない ”世界の言葉” は、日本人にとって価値のない概念なのでしょうか? **ARが繋ぐ、二つのカオス** 本展では、世界の「直訳できない言葉」、特に創作活動にまつわる微細な感情や概念を絵画に描き出し、この街の風景にAR(拡張現実)として重ね合わせました。 あなたがスマートフォン越しに見る「バーチャル」と、肉眼で見つめる「リアル」。 その境界線に、翻訳不能な言葉たちが彩りを与えます。もし、この二つの世界の区別に価値がなくなれば、それらは再び一つのカオスとして溶け合うのでしょうか。 この街に浮かび上がる「名付けがたい何か」を目の当たりにしたとき、あなたの世界を区切る境界線がどう変化するか。その目で、ぜひ確かめてください。